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福岡地方裁判所飯塚支部 昭和30年(ヨ)18号 判決

申請人 草生祐忠 外九八人

被申請人 室井鉱業株式会社

主文

被申請人は申請人等に対し別紙第二目録記載の各申請人等名下の各金員を支払え。

申請費用は被申請人の負担とする。

(注、無保証)

事実

申請人等代理人は主文同旨の判決を求めその申請の理由として

一、被申請人会社は石炭の採掘販売を業とする会社、申請人等はいずれも被申請人会社に雇傭され、被申請人会社豊徳炭礦において従業員として働いていたが昭和二十九年八月以降同年末頃までの間に、被申請人会社から解雇され若くは退職したものである。

二、被申請人会社は昭和二十九年四月頃から申請人等に対する賃金の支払を怠つて居り申請人等の被申請人会社に対して有する未払賃金債権額は別紙第二目録記載の各申請人等名下の金額の通りである。而して右金額は被申請人会社が田川労働基準監督署長宛提出した未払賃金支払明細書により明かである。

三、申請人等の生活は極度に困窮して居り、被申請人会社に対して未払賃金の支払を請求して本案訴訟を提起すべく準備中であるが本案判決をまつていては取り返えしのつかない損害を受ける虞れがあるので、これが損害を避けるため前記未払賃金の支払を求めて本件仮の地位を定める仮処分の申請に及んだ

と陳述し

四、被申請人会社の答弁事実中、申請人等が昭和二十九年十二月十五日当時、豊徳炭礦労働組合に所属していたか、若くは既に前記豊徳炭礦を退職していたことは認めるがその余の事実は否認する。

五、仮りに被申請人会社主張のような協定が締結されたとしても左記理由により右協定は無効である。

(一)  申請外白石厳及び矢山吉三郎は前記組合の規約により右組合大会において正式に組合長、副組合長に夫々選任されたことはないのみならず、申請人佐藤達児も右組合の代表者として選任されたことはなく、右白石、矢山及び申請人佐藤達児は右組合の代表者たる権限を有せず且他の申請人等より何等の権限を授与されたことがない。

(二)  仮りに然らずとするも、前記協定締結当時における申請人等を含む豊徳炭礦の前記組合に所属する全従業員及び全退職者に対する被申請人会社の未払賃金は総計三百七十三万九千百四十三円であつたに拘らず、被申請人会社は右白石、矢山、申請人佐藤達児に対して右未払賃金の総計は二百八十万円であると報告したので、右白石、矢山、申請人佐藤達児はこれを信用して右未払賃金につき百五十万円に打切りその余は放棄する旨の協定を締結したものである。従つて要素の錯誤があり、右協定は無効である。

(三)  仮りに然らずとするも、前記のように未払賃金の総計は三百七十三万円余りありこれについては前記未払賃金支払明細書により明かであるにも拘らず、被申請人会社はこれを秘し、未払賃金の総計は二百八十万円であると報告し、これを基礎として前記協定が締結されたものであるところ、未払賃金の総計は一般に使用者たる会社のみよく知る処であり、従つて、被申請人会社は信義則に従つて正確且真実の数字を示さねばならない。一方前記豊徳炭礦の全従業員及び全退職者は賃金未払のため、生活は極度に逼迫し、特に年末を目前に控え、いくらかでも未払賃金の支払を受けたいと思つていたものである。然るに、被申請人会社は度々の交渉にも誠意を尽さず前記のように虚構の数字を示して前記協定を締結させたものであるから右協定は信義誠実の原則に反し無効である。

と述べた。(疎明省略)

被申請人代理人は「本件申請はいずれも之を却下する。申請費用は申請人等の負担とする」との判決を求め答弁として

一、申請人等の主張事実中、一の事実は認める。二の事実は不知その余の事実は否認する。

二、仮りに申請人等が被申請人会社に対して申請人等主張のような未払賃金債権を有していたとするも、昭和二十九年十二月二十五日当時申請人等は豊徳炭礦労働組合に所属していたか、若くは既に豊徳炭礦を退職して居り、被申請人会社は、右組合組合長申請外白石厳、同副組合長申請外矢山吉三郎及び右退職者代表者申請人佐藤達児との間に昭和二十九年十二月二十五日、当時における前記組合員及び退職者の被申請人会社に対する全未払賃金債権につきこれを百五十万円に打切り、その余は放棄する旨約して協定が締結された。而して申請人等を含む前記組合員及び退職者は前記組合に対して右協定を締結するの権限を授与していたものである。仮りに然らずとするも申請人等を含む前記組合員及び退職者は前記白石、矢山及び申請人佐藤達児に対して右協定を締結するの権限を授与していたものである。よつて申請人等は右協定に拘束されるところ、被申請人会社は右協定に従い右組合員及び退職者に対して右百五十万円を夫々配布して支払済であるので申請人等の被申請人会社に対して有する未払賃金債権中右協定の百五十万円に相応する部分は全額支払を受けその余の部分は放棄により消滅している。

と述べた。(疎明省略)

理由

一、被申請人会社は石炭の授掘販売を業とする会社、申請人等はいずれも被申請人会社に雇傭され被申請人会社豊徳炭礦において従業員として働いていたが、昭和二十九年八月以降同年末頃までの間に被申請人会社から解雇され若くは退職したものであること、昭和二十九年十二月二十五日当時申請人等が右炭礦の豊徳炭礦労働組合に所属していたか、若しくは既に退職して居たことは当事者間に争がない。

二、成立に争のない疏甲第七号証の一乃至三、同九号証の一乃至九、同十号証の一及至九、同十一号証の一及至八、同十二号証の一、二、同十三号証、同十七号証の一乃至七、同十八号証の一乃至十二、同十九号証の一及至七申請本人木下昭二の供述(第二回)同供述により成立を認める同第一、二号証、申請本人草生祐忠の供述(第一回)同供述により成立を認める同八号証、証人宇都宮正行の証言(第二回)申請本人草生祐忠(第二、三回)同絹笠清蔵、同横山清作、同川路義雄の各供述を綜合すれば、昭和二十九年十二月二十五日当時において被申請人会社は申請人等を含む前記豊徳炭礦の前記組合に所属する全従業員及び右炭礦の退職者等に対して多額の賃金の支払未了でその額は総計金三百七十三万九千百四十三円であつたところ、その後一部を支払つたので、結局各申請人等に対する未払賃金の残額は別紙第二目録記載の各申請人等名下の金額の通りであることが認められる。前記各疏明に照らし、右認定に反する証人井上昌哉の証言(第一回)は措信せず、成立に争のない疏乙第四号証の一、二、証人井上昌哉の証言(第二回)により成立を認める同七号証、証人梶原初義の証言により成立を認める同八号証の一、同七号証、同八号証の一により成立を認める同五、六号証はいずれも右認定を左右するに足らず、他に右認定を覆すに足る疏明はない。

三、成立に争のない疏乙第一号証、証人白石厳の証言を綜合すれば、昭和二十九年十二月二十五日被申請人会社と前記組合組合長申請外白石厳、同組合副組合長申請外矢山吉三郎、前記豊徳炭礦の退職者代表者申請人佐藤達児との間に申請人等を含む右炭礦の右組合に所属する全従業員及び右退職者等の被申請人会社に対する未払賃金債権につきこれを百五十万円に打切りその余は放棄する約旨の協定が締結されたことが認められ、右認定を左右するに足る疏明はない。

而して労働組合は本来組合員の労働条件等を維持改善することをその目的とし、その労働協約を締結するの権限もこの目的の範囲内に限らるべきであるところ、組合員が労働契約にしたがつて就労した結果、既に具体的に個々の組合員に帰属している賃金債権を処分するが如きは右目的の範囲内に属しないのであるから、労働組合と使用者との間の契約によつて個々の組合員が使用者に対して既に取得している賃金債権につき、放棄その他の処分をなすが如きは、個々の組合員が自らこの処分を特に労働組合に委任したという別段の授権があれば格別、そうでない限り労働組合はかかる処分をなす権限を有しないと解するを相当とし、従つて前記認定のように前記協定が締結されたからといつて申請人等のうち前記組合に所属していた者の被申請人会社に対する未払賃金債権には何等の消長をきたすものではない。

被申請人会社は、申請人等が前記組合若くは前記白石、矢山、申請人佐藤達児のいずれかに対して前記認定のような協定の約旨の如き処分を委任したものであると主張するが、自ら前記退職者の代表者として右協定を締結した申請人佐藤達児は格別、右主張事実を認めるに足る疏明はない。

四、被申請人会社は、昭和二十九年十二月二十五日当時申請人等を含む前記豊徳炭礦の前記組合に所属する全従業員及び右炭礦の退職者等に対して総計金三百七十三万九千百四十三円にのぼる賃金を支払未了であつたこと、申請人佐藤達児が右退職者の代表者として昭和二十九年十二月二十五日被申請人会社との間に前記認定のような協定を締結したことは前記認定の通りであり、右諸事実と申請本人木下昭二の供述(第二回)により成立を認める疏甲第一号証、証人宇都宮正行(第一、二回)同白石厳の証言、申請本人木下昭二(第一回)を綜合すれば、昭和二十九年十二月二十五日右協定を締結するに当り、当時における申請人等を含む前記炭礦の前記組合に所属する全従業員及び右炭礦の退職者等の被申請人会社に対す未払賃金債権につきその金額は総計三百七十三万九千百四十三円であつたにも拘らず被申請人会社は之を知りながら之を秘して申請人佐藤達児等に対して右債権の総計額は二百八十万円である旨伝えたので申請人佐藤達児等は右債権の総計額につき正確な資料を有していなかつたため、右債権の総計額が金三百七十三万九千百四十三円であつたことを知り得ず二百八十万円であると誤信し、申請人佐藤達児は前記退職者等の代表者として被申請人会社との間に右債権につきこれを百五十万円に打切りその余は放棄する約旨で協定を締結し従つて右債権につき二百二十三万円余りを放棄することになつたこと、当時申請人佐藤達児は右債権につき、多くとも半ばまでは放棄する意思であつて右以上放棄する意思はなく右債権の総計額が三百七十三万九千百四十三円であり之を知つていたならば右約旨の右協定を締結する筈がなかつたことが認められ、従つて申請人佐藤達児が右協定を締結するにつき、要素の錯誤があり、右協定は無効であると認めるを相当とする。右認定に反する証人井上昌哉の証言(第一回)は措信せず他に右認定を覆すに足る疏明はない。

五、してみれば、爾余の点につき判断するまでもなく申請人等は被申請人会社に対して前記認定の未払賃金である別紙第二目録記載の各申請人等名下の各金額を請求しうるものである。而して申請本人木下昭二の供述(第二回)により成立を認める疏甲第三号証申請本人草生祐忠の供述(第三回)弁論の全趣旨を綜合すれば、申請人等は被申請人会社より離職後は労働賃金を以て生活してきた労働者として引続きその生活が極度に困窮の状態にあることが認められ(右認定を左右するに足る疏明はない。)仮処分によりこれが救済を求める必要性があるものと認められる。よつて申請人等の本件仮処分申請を許容し、申請費用につき民事訴訟法第八十九条を適用して主文の通り判決する。

(裁判官 古川初男 大野千里 柏原允)

(別紙省略)

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